2022年9月14日(水)

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聖書一日一章   コリント人への手紙第一 12章

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同じ神がすべての働きをなさいます。(6節)

パウロはここでは聖霊の賜物について述べます。まず、聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言えないので、キリストを救い主と信じる人はみな聖霊を与えられていると言います。その上で、聖霊が与える賜物にはいろいろな種類があると言い、9節では、癒やし、預言、霊を見分ける能力、異言を挙げ、28節では、教え、援助、管理などを挙げます。これらは一例で、神の役に立つ能力はみな聖霊の賜物と言ってよいでしょう。そのような賜物は、種類が多くあっても、すべて、同じ聖霊が与えられるもので、同じ神に仕えるためにあり、同時に、皆の益のためにあると言います。そして、いろいろな賜物をからだのいろいろな器官にたとえます。つまり、いろいろな器官があっても一つのからだであるように、いろいろな賜物があっても、一つの聖霊であり、また、器官はみな違っていても、どれも不可欠であるように、賜物もみな違っていても、どれも不可欠だと言います。

さて、今日は6節の「働きはいろいろありますが、同じ神がすべての中で、すべての働きをなさいます」という言葉が心にとまりました。聖霊はキリストを信じる一人一人に賜物を与えて、いろいろな働きをさせられるが、すべて聖霊の働きであり、神の働きだというのです。すると、人がどんなに大きな働きをしても、どんなに良い働きをしても、本質的にはその人の働きではなく、聖霊の働き、神の働きなのですから、その人がほめられることもなければ、誇ることもできません。ほめるとすれば、神をほめたたえるべきであり、誇るとすれば、神を誇るべきです。このような考え方、心の持ち方、あり方は、この世の人々の考え方、心の持ち方、あり方とまったく違います。この世の人々は、才能を自分のものだと思っています。すぐれた才能を持っている人はそれを誇りますし、競争も激しいので、努力して才能をみがき、競争に勝つと喜びます。難しいことを成し遂げると、みんながほめますし、自分も誇らしく思います。そんな世では、才能の劣っている人は蔑まれますし、目立たない才能は尊重されません。しかし、キリストを信じる人々の間では、どんな才能も神から与えられたものであり、神の力によって実を結ぶのであり、成果はすべて神のものであり、神だけがほめたたえられるのです。

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