2022年9月15日(木)

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聖書一日一章    コリント人への手紙第一 13章

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愛は寛容であり、愛は親切です。(4節)

パウロは、聖霊の賜物のことを述べている途中で、目立つ賜物を競って求める人々を見て、賜物よりももっと大事な愛について述べます。1節から3節では、どんなにすばらしい賜物を持っていても、愛がないなら、何の役にも立たないと言い、4節から7節では、本当の愛の特徴を述べます。8節以下では、賜物は、キリストを信じるためのもので、やがてキリストと直に会うとき、必要なくなり、消えて行くが、愛は、いつまでも残ると言います。

さて、4節から7節では、愛とはこんなものだと説明するために、いろいろな言葉を並べます。寛容、親切、ねたまない、自慢しない、高慢にならない、礼儀を守る、自分の利益を求めない、苛立たない、人がした悪を心に留めない、真理を喜ぶ、信じて耐えるという具合です。これらの全部を行うことが愛だというわけではありません。これらは本当の愛の特徴を言っているのです。愛には自分中心の愛と、本当の愛とがあって、この2つはまったく異質なものです。自分中心の愛の人が少し寛容であるように頑張り、親切であるように努力すれば、本当の愛の人になるかと言うと、そうではありません。東と西のようにまったく違うものです。自分中心の愛は言うまでもなく、自分の幸せが目的ですし、本当の愛は相手の幸せが目的です。方向が違うので、努力したり気をつければそうなるというものではなく、方向転換が必要です。

本当の愛は、崇高で手の届かないところにあるものではなく、元々、神が持っておられ、神が人間をご自身に似せて造られたとき、人間の心に埋め込まれたものです。しかし、人間が神に背き、神から離れたときに、本当の愛とは似ても似つかぬ愛が出てきました。それは、愛と言っても、実際は所有欲であり、独占欲であり、支配欲であり、自己愛です。本当の愛は人間の内からは出てきません。本当の愛は神にだけあり、神の子キリストにだけあるものです。私たちはキリストによってはじめてこの愛を知りました。そして、キリストを信じて、聖霊によって新しく生まれるときに、心の中に宿るものです。キリストを信じる人の内には、本当の愛が弱々しいながらも宿っています。宿っているのですから、成長しますし、伸ばすことができます。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成