2022年9月18日(日)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章   コリント人への手紙第一 16章

_____________________________________________________________________________

主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。(23節)

パウロはここでは手紙の終わりに、エルサレム教会への献金のこと、コリントを訪問する予定のこと、先にコリントに遣わすテモテのこと、コリントから来ていた人々のこと、パウロとともにいる人々からの挨拶を記しています。

内容は連絡事項などですが、言葉の端々からクリスチャンの温かい交わりを垣間見ることができます。一人一人が自由でありながら、キリストを愛する思いで一つになり、宣教のために力を合わせ、互いに思いやり、互いに尊敬しています。これを見て、クリスチャンの交わりはいいなと思いました。

しかし、同じ信仰を持っているということだけで、こんな交わりができるわけではありません。人間は本来互いに仲良くできないものです。ごくわずかな、性格や嗜好や環境や利害が一致している人同士なら、仲良くできるかもしれませんが、それでも親友や恋愛結婚した人でも、断絶したり離婚したりしているのを見ると、人間は仲良くするのがつくづく難しいと思います。それは、人間が自分中心で、いつも自分の得を考えるからです。また、人間が自分勝手で、人のことを考えずに自分のやりたいことをやろうとするからです。また、人間がうそつきで、自分の都合や利益や危険回避のためには人をだますからです。また、人間が高慢で、人を見下げるからです。また、人間が卑怯で、責任を逃れようとするからです。また、人間が生意気で、自分の非を認めないからです。また、人間が薄情で、助けてほしいときに知らぬ顔をするからです。こんないやな性質の人間を愛することはできません。

そんな人間が仲良くできるとすれば、23節で、「主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように」と言うように、キリストの恵みによってだけです。つまり、キリストの贖いにより、罪が赦されるとともに、自分のたましいがまったく新しくされ、聖霊が内に宿られます。外側はそのままで、ほかの人と変わらず、いやな性質も抜け切っていませんが、聖霊が宿っておられることが違います。その違いによって、私たちは特別な交わりを持つことができるのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成