2022年9月19日(月)

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聖書一日一章     コリント人への手紙第二 1章

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保証として御霊を私たちの心に与えてくださいました。(22節)

パウロは第3次伝道旅行でエペソに長く滞在していた間にコリントのクリスチャンたちに第一の手紙を書き送り、その後、マケドニア回りでコリントへ行く途中で、この手紙を書き送りました。ここでは、自分が受けた苦難について語ります。その苦難とは使徒の働き19章に記されている、エペソのアルテミス神殿の模型を作る業者たちが、パウロに対して暴動を起こしたことです。その苦難は激しく、生きる望みを失うほどだったが、神は救い出し、大きな慰めを与えてくださった、苦難が大きかっただけにその慰めも大きかった、その慰めはすべてのクリスチャンの慰めにもなるだろうと言います。15節以下では、コリントを訪問してからマケドニアに行く予定を伝えておきながら、先にマケドニアに行った事情を説明しています。自分の言葉がいい加減で、「はい」が同時に「いいえ」ではなく、神は真実で、神から聖霊を受けている自分も真実で、決してそんなことはないと言います。コリントを先に訪問しなかったのは、次の章で詳しく書きますが、コリントのクリスチャンたちに問題があり、彼らを責めたくない思いやりからでした。

さて、22節では、「神はまた、私たちに証印を押し、保証として御霊を私たちの心に与えてくださいました」と言います。神がキリストを信じる者に押された「証印」とは、神のものだということを示す証印で、罪の赦しや、神の子どもであることや、天国に迎えるという約束のしるしです。ただ、それは神の御心の中にあり、人には見えないものです。そこで、その保証として聖霊を与えてくださったと言うのです。あくまで、見えないものの見える保証ですので、自分で確かめられるものでなくてはなりません。聖霊は信じる者にはだれにでも与えられているといった抽象的なことではだめです。パウロの時代のクリスチャンたちには、預言や異言や癒しといった超自然的な賜物が与えられ、聖霊の存在が顕著でしたが、そんな超自然的な賜物ではなくても、聖霊が起こされる体験や変化や特徴があります。自分の犯す罪に対する嫌悪感と悔い、神の御心に従いたいという気持ち、心の中の喜びや平安、祈りたいとか神をほめたたえたいという気持ち、兄弟姉妹への愛などが、それです。自分を省みて、聖霊の存在を確かめましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成