2022年10月1日(土)
_____________________________________________________________________________
聖書一日一章 コリント人への手紙第二 13章
_____________________________________________________________________________
真理のためならできます。(8節)
パウロは、この手紙を締めくくる上で、大変厳しい口調で、正しい信仰から離れないようにと釘をさしています。パウロがこんなふうに話すのは、よそからやって来て異なる教えを広める人たちが、信仰を曲げようとしているのに、クリスチャンたちが拒否しないどころか、かえって影響されていたからです。2節に「二度目の滞在のとき」とあるように、パウロは最初にコリントで伝道したとき以来、一度訪問しているのですが、そのとき、異なる教えを広める人たちと対立し、影響されているクリスチャンたちに、最初に教えられた信仰に戻るように、厳しく言ったのでしょう。パウロは近いうちに訪問しようとしていましたが、そんな思いはしたくなかったのです。
さて、4節では、「キリストは弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、神の力によってキリストとともに生きるのです」と言います。キリストは人間となり、弱くなり、十字架につけられました。十字架は人間キリストの弱さの象徴です。しかし、キリストは神の力によって復活されました。これは弱い者でも、神の力が働くときに、ものすごい力を発揮することを表しています。パウロもクリスチャンも、弱い人間ですが、信仰によって神の力が働くときに、強くなるのです。前の章で、神がパウロに、「わたしの力は弱さのうちに完全に現れる」と言われた通りです。
ところで、8節では、「私たちは、真理に逆らっては何もすることができませんが、真理のためならできます」と言います。神の力は、神を信じるときに、そして、信じて祈るときに働きますが、もう一つ条件があると思います。それは、願っていることが、真理に基づき、真理のためになることです。人が真理に逆らっているとき、あるいは願っていることが真理に反するときは、神の力は働かないので、その人は弱いままで、何もできません。真理に基づき、真理のために何かを願っているなら、神の力が働くので、何でもできるのです。もし、祈ってもかなわないならば、自分は真理に基づいているか、真理のために願っているかと省みてみましょう。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
