2022年10月6日(木)
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聖書一日一章 ガラテヤ人への手紙 5章
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御霊によって歩みなさい。(16節)
パウロは、1節で、「キリストは自由を得させるために私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは堅く立って、再び奴隷のくびきを負わされないようにしなさい」と言います。私たちは、キリストによって、信じるだけで義と認められ、義務とさばきから解放されました。しかし、パウロはクリスチャンたちが勝手気ままに生きることを望んではいません。13節では、「その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕え合いなさい」と言います。この命令は、次の節で引用している、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という戒めと同じ趣旨で、その戒めはキリストが律法の要約だと言われたものです。ユダヤ人の宗教生活という律法は、守る必要がありませんが、この愛の律法は、神がすべての人に求めておられる真の律法です。クリスチャンはキリストを信じるだけで義と認められているので、守らないと罰せられるということはありませんが、それでもこの愛の律法を守るように求められているのです。
しかし、この愛の律法は、人間の本性に反することで、きわめて難しいことです。人間は自己愛が強く、隣人を愛することができません。また、何でも自分の好きなようにしたいもので、隣人に仕えることができません。ですから、この愛の律法は、ユダヤ人の宗教生活という律法よりはるかに難しいことです。もし、クリスチャンになれば、愛の律法を一生けん命行わなければならないというのなら、パウロが警戒しているユダヤ人の宗教生活という律法以上に、奴隷にしてしまうものでしょう。しかし、努力して行う必要はありません。パウロは16節で言います。「御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことはありません。」聖霊が私たちの内に愛を起こし、愛の律法を行うことができるようにされるのです。22節で言うように、聖霊が私たちの内に、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」という実を生み出されるのです。そのためには、聖霊が内に宿っていることを信じ、聖霊に期待し、聖霊に心を開くことです。でもそれ以前に聖霊を与えられていることを、つまり、キリストを救い主として信じていることを、確認する必要があります。
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