2022年10月8日(土)

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聖書一日一章     エペソ人への手紙 1章

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キリストにあって、一つに集められることです。(10節)

この手紙は、パウロが獄中にあったときに、現在のトルコのエーゲ海沿岸のエペソのクリスチャンたちに書いたものです。手紙の末尾に記していますが、彼を心配する人々のために、近況を知らせるために助手のティキコを遣したときに持たせたものです。救いが神の永遠の愛による永遠のご計画に基づくことを説き明かし、その恵みにどう答えるべきかを教えています。

さて、9節に「奥義」とありますが、神の永遠のご計画全体の目的といった意味です。では、その目的は何か、10節で、「天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです」と言います。「一つに集められる」と言われてもピンと来ませんが、その背景には、人間同士の争い、動物同士の食い合い、自然の人間に対する猛威、悪魔の暗躍と、争いと混乱に満ちた現実があります。そんな世界をキリストによって完全に調和した美しい世界にすることが、究極の目的だと言うのです。

たしかにキリストは、敵対する者を和解させる方です。人間は造り主である神の言われることを聞かず、勝手気ままに生き、道を踏み外しているので、神は滅ぼさないわけにはいかないのですが、人間を深く愛しておられるだけにそれは忍びがたいことでした。キリストはそんな神のお気持ちを察し、人間の悪をすべて背負って十字架にかかり、罰を受け、神の怒りを静められました。同時に人間にも神と神の愛、また罪深い自らの姿を知らせ、悔い改めて罪を赦され、神を愛するように導き、神との平和を持たされました。

キリストによって、人と人との関係も変わります。人はみな仲良くしたいのに、どうしても利害の対立が起こり、取り合い、責め合い、争いになり、戦争にもなるのです。しかし、キリストを信じる人は、神が愛しておられることを知り、祈れば与えてくださると思って、取り合いから解放され、自分が罪深いことを知っているので、人を責めるよりも、自分の非を反省し、赦されたので、赦そうと思うので、争いになりにくく、神に愛されていることによって、愛することができるようになるのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成