2022年10月23日(日)
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聖書一日一章 テサロニケ人への手紙第一 2章
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自分の子どもたちを養い育てる母親のように。(7節)
パウロはここでは、テサロニケで伝道したときのことを思い返し、親のような愛情を持って伝道したこと、人々が真心を持って受け入れてくれたこと、そして、今、会えないけれど、いつも思っていることを書いています。
さて、パウロは、親のような愛情を次のように表現しています。「私たちは、自分の子どもたちを養い育てる母親のように、あなたがたをいとおしく思い、神の福音だけではなく、自分自身のいのちまで、喜んであなたがたに与えたいと思っています。」「私たちは、あなたがたのだれにも負担をかけないように、夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。」
通常、人が働いたり、サービスしたりするのは、報酬や見返りのためです。それは悪いことではなく、社会の仕組みであり、生活が成り立つために必要なことです。しかし、ときには、人は、見返りなしでサービスをすることがあります。愛に動かされるときです。サービスどころか、報酬のためならとてもできないような労苦をすることがあり、いのちまでも与えたいと思うことがあるのです。愛の力です。
この愛は、もともと神が持っておられ、神が人に与えられたものです。しかし、罪深くなった人間は、この愛を失ってしまいました。かろうじて親の愛情にそれを見ることができ、その力に驚かされますが、罪の影響は強く、自分の子だけを偏って愛するので、溺愛、親の支配、身内主義などの問題を起こしています。そんな人間に、神はキリストによって本当の愛とその愛の力を示してくださいました。神は愛によってご自分のひとり子を人類に与え、そのキリストは愛によってご自分のいのちをすべての人に与えられました。
私たちはキリストに出会ってこの愛を知りました。知っただけでなく、聖霊を与えられるとともに、その愛の種が宿ったのです。聖霊はこの愛を育てられます。聖霊は私たちにキリストの愛を感じさせることにより、また、私たち自身にその愛を実践させて訓練することにより、この愛を育てられます。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
