2022年10月26日(水)
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聖書一日一章 テサロニケ人への手紙第一 5章
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いつも喜んでいなさい。(16節)
パウロはここでは、キリストの再臨は、いつかわからず、盗人のように突然訪れるので、ぼーっとしていないで、備えるように、救いの確信を持ち、信仰と愛を互いに励まし合うように勧めます。また、指導者を尊敬し、怠惰な者を諭し、小心な者を励まし、弱い者の世話をし、すべての人に善を行うように、いつも聖霊を気にとめ、あらゆる悪から離れるように勧めます。
さて、16節から18節では、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい」と言います。まず、「いつも喜んでいなさい」と言うのは、理由なく喜ぶように命じるのではなく、喜ばないわけにはいかないので、そうするように勧めるのです。それは、救われていることです。つまり、悩みに満ちた罪深い人生から解放され、キリストの血によってすべての罪を赦され、永遠の刑罰を免れ、神の子どもとされて愛され、キリストがともに歩んでくださり、怖いものがなくなり、限りない祝福が約束されていることです。そして、その救いが現実の生活に反映してくることです。そういうことを自覚すれば、自然に喜びが湧いてくるでしょう。
次に、「絶えず祈りなさい」は、祈りを信仰者のぎょうとして勧めているのではありません。救われ、神と交わっていれば、何事につけ、「主よ」と言って祈らないではおれないものです。困ったとき、つらいとき、具合が悪いとき、迷ったとき、難しくてわからないとき、どきどきするとき、お金が足りないとき、どうしても欲しいものがあるとき、だれかのことが心配なとき、祈るのが一番手っ取り早いので祈ってしまうのです。
そして、何事につけ祈っていると、起こってくる出来事が、偶然ではなく、神が祈りに答えてそのことをしてくださったと思えるので、自然に神に感謝する気持ちになるでしょう。また、祈り、答えられる経験をしていくと、それまで当たり前だと思っていたことも、神が与えてくださって、あるいは助けてくださって、初めて持てた、あるいはできたことがわかり、自然に感謝が出てくるでしょう。
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