2022年10月29日(土)
_____________________________________________________________________________
聖書一日一章 テサロニケ人への手紙第二 3章
_____________________________________________________________________________
平和の主ご自身が、あなたがたに平和を与えてくださいますように。
(16節)
パウロはここでは、自分たちのためにも、宣教が進み、悪い者どもから守られるように祈ってほしいと頼んでいます。また、テサロニケのクリスチャンたちの中に、仕事をせず、おせっかいばかりしている怠惰な人たちがいると聞いたので、夜昼働いて自給で伝道している自分に見習って、落ち着いて仕事をし、自分で得たパンを食べるように勧めます。また、この手紙に書いた言葉に従わない者がいれば、悔い改めるまで、交わりを絶ち、同時に兄弟として諭すようにと言います。
さて、16節では、「どうか、平和の主ご自身が、どんな時にも、どんな場合にも、あなたがたに平和を与えてくださいますように」と祈ります。キリストのことを「平和の主」と言っていますが、これは、イザヤ書9章で「平和の君」と預言されていることとも、お生まれになったときに、天使たちが「地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように」と賛美したこととも、合致しています。キリストはどのように「平和の主」なのでしょうか。歴史を見ると、平和は、平和を呼びかけて実現するものではなく、ローマ帝国のように、強大な軍事力を持って他の国々を圧倒するときに実現します。キリストは、軍事力の代わりに、マタイの福音書28章18節で、「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられている」と言われるように、神から与えられた、だれも抵抗できない権威によって平和を実現されるのです。その権威によって、欲望のままに生きていて、争ってばかりいる人間を、神に立ち返らせ、神に従順な人に変えられます。神に従順な人は、自分の欲望のために争うことをしないので、従順になればなるほど、争いがなくなっていきます。キリストはそのようにして、神に立ち返った人々の間に平和な交わりを生み出し、平和を広げていかれます。問題は私たちがなかなか従順になれないことです。私たちの内には頑ななものがあって、そう簡単には従順になれません。聖霊の力が必要です。聖霊が私たちの内で働いて、私たちの内の頑ななものを柔らかくしてくださるように祈りましょう。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
