2022年10月31日(月)

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聖書一日一章     テモテへの手紙第一 2章

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よく従う心をもって静かに学びなさい。(11節)

ここには、私たちの信仰の基礎となっている言葉があります。4節。「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。」5節。「神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです。」6節。「キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自分を与えてくださいました。」

さて、8節から15節の言葉は、現代人にはかなり抵抗があるでしょう。とくに「私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。むしろ静かにしていなさい」とか、「女は子を産むことによって救われます」という言葉が、現在のジェンダー平等の潮流に反するからです。聖書の言葉はすべて誤りなき神の言葉だと信じるクリスチャンにとっては悩ましいところです。しかし、聖書の言葉がすべて誤りなき神の言葉だということと、そこに書かれているすべてのことを現在に文字通りに適用すべきだということとは、違います。神と救いについての永遠の真理と、パウロが当時の具体的な問題に適用した勧めとは区別すべきです。その勧めは、当時においては適切だったとしても、社会生活が大きく変わった現在では適切だとは限りません。

しかし、男女共通の指針としては、現在も少しも変わりません。8節で、「男たち」を取れば、「怒ったり言い争ったりせずに、どこででも、きよい手を上げて祈りなさい」という勧めになります。怒ったり争ったりしないで、主に解決を求めて祈ることは、男女ともに大切なことです。9節と10節も、「はでな髪型」や「高価な衣服」を適当に変えれば、だれにでも当てはまりますし、「良い行いで自分を飾」ることは、男女ともに大切なことです。12節も、女が男を教えたり支配したりすることだけではなく、男にしても、女にしても、上に立って教えたり支配したりすることを戒めていると取ることができます。最後の「救われます」は、永遠の救いではなく、救いの祝福を受けられるという意味で、「子を産むこと」は女性の務めを指しているとすれば、それぞれの務めに励むことによって救いの祝福を受けられると取ることができます。男女とも主の前にへりくだることが勧められているのです。

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