2022年11月2日(水)
_____________________________________________________________________________
聖書一日一章 テモテへの手紙第一 4章
_____________________________________________________________________________
神が造られたものはすべて良いものです。(4節)
パウロはテモテに、ここでは、未来にある人たちが正しい信仰から離れ、結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたりするので、そういう人たちに惑わされないように、正しい信仰をしっかり教えるように勧めます。また、敬虔のために、つまり信仰を深めるために、自分自身を鍛錬するように、ことば、態度、愛、信仰、純潔において模範となるように、与えられている賜物を用いるように、自分自身にも教える内容にも、よく気をつけるように勧めます。
さて、4節では、「神が造られたものはすべて良いもので、感謝して受けるとき、捨てるべきものは何もありません」と言います。ある人たちが忌み嫌う結婚や食物は、もともと神が造って与えられたものです。神が造って与えられたものに悪いものがあるはずがありません。性にはしばしば浮気や売春のような淫らなものがつきまとい、食物には食い意地や貪欲がつきまといますが、それは人間のたましいが罪深いからです。私たちはキリストによってたましいを新しくしていただきました。いまだに罪深い性質が残っていますが、基本的には、神を愛し、神の栄光を求め、すべてのものを神が与えてくださったものとして感謝しています。私たちのたましいがそのような状態であるかぎりは、神が造られたものはすべて良いものになるはずです。
私たちがそのようなたましいで改めてこの世界を見るときに、この世界は神が造られた良いもので満ちています。神の無限の知恵、神の豊かな芸術性、神の温かい愛情が散りばめられています。また、私たち自身も神の作品です。神の知恵と芸術性の結晶のようなものです。それでは、ヨハネがその手紙第一の2章で、「世も世にあるものも、愛してはなりません」と言うのは、どうなのでしょうか。この言葉からは、この世界には良いものが何もないような印象を受けます。しかし、ヨハネが言う「世にあるもの」とは、「肉の欲」、「目の欲」、「暮らし向きの自慢」などで、罪深い人間が造り出したものです。神がもともと造られたものではありません。もし私たちが「肉の欲」、「目の欲」、「暮らし向きの自慢」などから解放されれば、この世界は神が造られた良いもので満ちていて、いくらでも楽しめると思います。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
