2022年11月6日(日)

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聖書一日一章    テモテへの手紙第二 2章

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キリストは常に真実である。(13節)

ローマで拘留されていたパウロが、エペソの教会の責任を持っていたテモテに書いた手紙ですが、ここでは彼の逮捕で落ち込んでいたテモテを励まそうとしています。とくに、伝道者の務めに精を出すように言います。3節では、兵士、競技者、農夫の例を挙げて、見習って努力するように、15節では、み言葉をまっすぐに説き明かすように、20節では、身をきよめて尊く用いられる器となるように、22節では、情欲や争いを避けるように言います。

さて、11節で、「次のことばは真実です」と言って、ある言葉を引用していますが、原語のギリシャ語では韻を踏んでいるので、当時の教会で歌われていた賛美歌だと考えられています。まず、「キリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きるようになる」と言います。パウロはローマ人への手紙6章で、バプテスマのことを、それまでの自分がキリストとともに十字架で死に、新しい自分がキリストとともによみがえることだと説明します。キリストを信じることには、そのようにキリストと一体となって、死んで生きる霊的現実があるのです。それで、キリストを信じて一度死んだ人は、今やキリストとともに新しいいのちで生きているのです。次に、「耐え忍んでいるなら、キリストとともに王となる」と言います。人生は苦労が多いですが、クリスチャンはそのうえ、信仰のゆえに疎外されたり迫害されたりし、あるいは、神のためにも兄弟姉妹のためにも奉仕するので、労苦が多いです。しかし、新しい世界ではキリストとともに王の身分になると言うのです。逆に、「キリストを否むなら、キリストもまた、私たちを否まれる」と言います。「キリストを否む」、つまり、キリストは神の子でも救い主でもないとか、自分は信仰を捨てた、クリスチャンではないとか言うなら、キリストが再臨されるときに、「わたしはあなたを知らない」と言われるのです。私たちは賢い選択をしなければなりません。最後の部分はありがたい言葉です。「私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。」私たちは、キリストを信じて従っていると言っても、純粋にそうしているわけではありません。しますと誓ってしなかったり、人を恐れてごまかしたり、真実ではありません。それでも、キリストは救いの約束を真実に果たしてくださるのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成