2022年11月10日(木)

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聖書一日一章     テトスへの手紙 2章

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すべての人に救いをもたらす神の恵みが現れたのです。(11節)

パウロは1節でテトスに、「健全な教えにふさわしいことを語りなさい」と言います。健全な教えならば、その教えを信じる人の行動や生活も健全になるはずです。反対に、信じる人の行動や生活で、その教えが健全であるかどうかがわかります。キリストがマタイの福音書7章15節で、「良い木はみな良い実を結び、悪い木は悪い実を結びます」と言われた通りです。だとすれば、健全な教えを信じていれば、自然に健全な行動や生活をするようになるので、わざわざ勧めなくてもよいと思いますが、むしろ、それだから勧めるということでしょう。そういう人こそ勧めて効果があるからです。箴言9章8節が、「知恵のある者を叱れ。彼はあなたを愛する」と言う通りです。

さて、11節では次のように言います。「すべての人に救いをもたらす神の恵みが現れたのです。その恵みは、私たちがこの世の欲を捨て、今の世にあって、正しく生活する」ためです。だれもが健全な行動と生活をしたいと思うのに、それができないのは、人間が持つ「この世の欲」が原因です。「この世の欲」は、貪欲で、わがままで、冷酷で、じゃじゃ馬です。そして、「この世の欲」が罪を犯させ、あらゆるトラブルや争いを引き起こします。「この世の欲」をどうコントロールするかですが、まず考えられるのが、戒めと罰によって押えることです。神も、最後の審判を予告し、すべての人に、「この世の欲」のままに生きないように警告してこられました。しかし、人は神のさばきを知っていても、「この世の欲」をコントロールできません。そこで、神は、それとはまったく別の仕方で、「この世の欲」を克服する道を備えられました。それは、キリストを遺し、キリストによってご自身の祝福で満たし、「この世の欲」を捨てさせるという仕方です。パウロはエペソ人への手紙1章3節で、「神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました」と言うように、祝福に満たされていました。それで、ピリピ人への手紙3章7節で、「自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべて損と思っています」と言うように、「この世の欲」を捨てています。私たちもこのような仕方で克服したいと思います。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成