2022年11月12日(土)
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聖書一日一章 ピレモンへの手紙
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もはや奴隷としてではなく、愛する兄弟としてです。(16節)
この手紙はおそらくローマで拘留されていたパウロが、ピレモンという裕福なクリスチャンに、彼の奴隷オネシモのことで書いたものです。オネシモはピレモンの家から逃亡し、パウロの所にたどり着き、パウロの導きでキリストを信じ、そのままパウロの小間使いをしていました。パウロには重宝でしたが、オネシモは本来ピレモンの所有なので、いつまでも留めておくのはよくないと考え、彼のもとに返そうと決めました。その上で、キリストを信じて役に立つ人となったオネシモを温かく迎えるように頼んでいます。
さて、パウロは16節で、「もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟として」迎えてほしいと言います。ピレモンとオネシモとの関係、主人と奴隷という関係は、人間が作った秩序で、神が定められた秩序ではありません。人がオネシモを奴隷と見ても、神は決してそうは見られません。神を知らない人が人間が作ったこの世の秩序で見るのは当然ですが、キリストを信じて神を知り、物事を神の目で見るようになると、人を神が造られた尊いものと見るようになるでしょう。とくにキリストを信じる人はみな神の子どもですので、お互いを兄弟と見るようになるでしょう。そのように、信仰によって、主人と奴隷という関係は、兄弟姉妹の関係に変わるのです。ローマ帝国で起こった迫害の多くは、教会で奴隷たちが市民たちと対等に交わっていることで、奴隷の使用者たちが秩序が崩れることを恐れたことから起こったと言われます。
そのことは奴隷制度だけではありません。人がキリストを信じて、神を知り、神の目で見るようになると、人間が作った秩序は崩れていきます。身分制度、人種差別、男尊女卑なども同じです。しかし、パウロは、ピレモンがオネシモの主人であることを否定していません。パウロはどの手紙においても、奴隷制度に反対したり、奴隷を解放するように要求したりしていません。人間が作った秩序は、人々が神を知ることによって自然に崩れていくものです。人間が崩そうとして崩れるものではないし、人間の力で崩してもまた別の、人間の秩序ができてしまうでしょう。
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