2022年11月13日(日)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章     ヘブル人への手紙 1章

_____________________________________________________________________________

御子にあって私たちに語られました。(2節)

この手紙は、いつ誰が誰に書いたのか分かりませんが、旧約聖書のキリストを預言している箇所を説き明かしているので、旧約聖書をよく知るイスラエル人に宛てたものと考えられ、その別名ヘブル人の名で呼ばれています。

さて、著者は1節で、「神は昔、預言者たちによって、多くの部分に分け、多くの方法で先祖たちに語られました」と言います。神は見えないだけでなく、人間から超絶した存在で、想像することすらできませんが、人間にご自身を知らせ、交わりたいと思っておられます。そのため、預言者と呼ばれる人々に、心に語りかけたり、幻や夢を見せたりして、ご自身とその御心について語ってこられました。長い年月、少しずつ語ってこられたのです。

しかし、2節では、「この終わりの時には、御子にあって私たちに語られました」と言います。「終わりの時」というのは、著者が世の終わりが近いと思っていたのでそう言うのですが、自分たちの時代のことで、ご自身の御子によって語られたというのです。さらっと読むと、預言者の代わりに御子によって語られただけのようですが、私は、ものすごい違いというか、言葉で表せないほどの違いがあることに気づきました。預言者というのは、特別な能力は持っていても、普通の人間です。不信者でも、そういう人はいるかもしれないと思うでしょう。しかし、宇宙を創造した神がおられるということは、途方もないことで、そう簡単には信じられないでしょう。それなのに、その神に子があるということは、あまりにも奇想天外で、神を信じているイスラエル人でも信じられないことでした。その神の御子が人間として生まれたのがキリストで、神はそのキリストによって語られたと言うのですが、もう言葉がありません。2節の後半から3節にかけて、難しい言葉を使っていますが、御子であるキリストのすごさを何とか表現しようとしているのです。万物を相続し最終的に所有する方、世界の創造者、神の栄光の輝き、神の本質の完全な現れ、力ある言葉によって万物を保っている方、人類の罪のきよめを成し遂げた方、神の右の座に着いている方と。神の言葉を聞きたいと思い、預言者を待っていたら、どえらい方が来られたという感じです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成