2022年11月14日(月)
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聖書一日一章 ヘブル人への手紙 2章
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すべて人のために味わわれたものです。(9節)
この手紙は、旧約聖書の言葉をキリストの救いと関係づけて説き明かしていますが、ここでは、詩篇8篇、詩篇22篇22節、サムエル記第二22章3節、イザヤ書8章18節を取り上げています。
さて、著者は6節で詩篇8篇を引用します。「人とは何ものなのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。あなたは、人を御使いよりわずかの間低いものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせ、万物を足の下に置かれました。」この詩は、ダビデが夜、果てしない宇宙を眺めながら、人間の小ささを思い、その小さな人間を宇宙の創造主なる神が心に留められることに感動してうたったものです。著者は、「万物を足の下に置かれました」という表現に注目します。そして、それなのに、「今なお私たちは、すべてのものが人の下に置かれているのを見てはいません」と、現実との食い違いを問題にします。猛獣が人を襲ったり、台風や地震の被害が出たり、疫病で多くの人が死んだり、自然界が人間に歯向かい、害を与えることを言っています。著者はその原因については何も触れてはいませんが、人間が神に従わなくなったからです。本来、神が人間を万物の上に置かれたのは、人間が神に従い、万物が人間に従って、すべてのものが神に従うためでした。ですから、人間が神に従わなくなったとき、神は万物が人間に従わないようにされたのです。
しかし、9節では、そのように自らの不従順によって万物を従わせることができない人間の代わりに、キリストがそのことをされたと言います。まず、人間の代わりに不従順の罰として「死の苦しみ」を味わわれました。そして、それによって、神から「栄光と誉れの冠を受けられました。」これはマタイの福音書28章18節で、復活されたキリストが「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています」と言われたことを指しています。そのように、すべての権威を与えられたことによって、万物を従わせられたのです。そして、キリストは信じる人々に万物の管理をゆだねられます。私たちがキリストに従うときに、私たちのまわりのいろいろなものも、荒ぶることをやめ、静まるので、私たちから平和が広がっていくと思います。
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