2022年11月19日(土)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章     ヘブル人への手紙 7章

_____________________________________________________________________________

祭司職が変われば、必ず律法も変わらなければなりません。(12節)

著者は、5章で、詩篇110篇4節、「あなたはメルキゼデクの例に倣い、とこしえに祭司である」を引用し、キリストは「メルキゼデク」のような祭司だと言いましたが、ここで改めて「メルキゼデク」のことを説明します。

メルキゼデクは、創世記14章に登場するアブラハムを祝福した人物です。著者は、メルキゼデクがアブラハムを祝福し、十分の一のささげ物を受け取り、アブラハムに対して祭司の立場だったことに注目します。イスラエルの祭司たちはみなアブラハムの子孫なので、メルキゼデクは彼らの偉い先祖を祝福した祭司、つまり、祭司たちの上に立つ別格の祭司だということになります。それで、キリストはそのメルキゼデクと同じく、イスラエルの祭司たちの上に立つ別格の祭司だと言うのです。

さて、12節では、「祭司職が変われば、必ず律法も変わらなければなりません」と言います。これには違和感を持ちました。祭司は律法に基づいて任命され、律法に沿ってその務めを行うもので、祭司職が変わるから律法が変わるというのは、本末転倒ではないでしょうか。キリストはマタイの福音書5章18節で、「天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません」と、つまり律法は変わらないと言われました。一方、パウロはガラテヤ人への手紙3章で、律法をキリストに導く養育係とみなし、信じた後は不要であるかのように言います。矛盾しているようですが、キリストが言っておられる律法は、十戒のような普遍的な律法で、パウロが言っている律法は、割礼やいけにえのような儀式の規則やイスラエル人の生活の規則のことでしょう。パウロも同じガラテヤ人への手紙5章13節で、「愛をもって互いに仕え合いなさい。律法全体は『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という一つのことばで全うされるのです」と、愛の律法を守るように勧めています。ですから、普遍的な律法は天地が消え去るまで変わることはないのです。しかし、キリストが私たちの大祭司となられた限り、儀式の規則や生活の規則などの面倒な律法はなくなったのです。私たちは愛の律法、神を愛し、隣人を愛することだけを心がけていきましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成