2022年11月21日(月)
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聖書一日一章 ヘブル人への手紙 9章
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ほとんどすべてのものは血によってきよめられます。(22節)
著者はキリストを大祭司と呼びますが、イスラエルの大祭司とは次元の異なる、天の幕屋で務めを行う大祭司だと説明しました。ここでは再び比較のために、イスラエルの幕屋のことを話します。幕屋の奥の至聖所には、大祭司が年に一度だけ、いけにえの血を携えて入る以外、だれも入れませんでした。そのようにだれもその聖なる所に入れなかったことが、人々がきよめの儀式を受けているのに、その儀式によってはきよめられなかったことを示していると言います。しかし、キリストは地上の幕屋ではなく、天の幕屋の至聖所にご自分の血を携えて入り、「永遠の贖いを成し遂げられ」たと言います。
さて、22節では、「ほとんどすべてのものは血によってきよめられます。血を流すことがなければ、罪の赦しはありません」と言います。体の汚れは水と石鹸で落とせますが、罪による汚れは落とせず、血によってだけ落とすことができる、それで、キリストはすべての人の汚れをきよめるために、十字架で血を流されたと言うのです。イスラエルでは、日常的に、罪のきよめのために羊がほふられ、血が流されていたので、血が罪をきよめるということが理解しやすかったと思いますが、私たちにはぴんときません。
しかし、私たちの体の血液のことを考えると理解の助けになるのではないでしょうか。私たちの体には絶えず細菌やウイルスが侵入して来ています。それらは瞬く間に増殖するので、そのままなら体中が細菌やウイルスだらけになるところですが、血液中の免疫細胞が次から次へと殺してくれるので、そうはなりません。また、私たちの体の中では、ガン細胞が1日5千個も発生するそうですが、やはり血液中の免疫細胞がガン細胞を絶えず掃除してくれているので、簡単にはガンになりません。また、足の先が真っ黒になる壊死という病気がありますが、何かの原因で血の循環が悪くなり、腐敗菌がどんどん増殖するからで、血が届いていれば、そんなことにはなりません。そのように、血液は私たちの体中を循環して、隅々まできれいにしてくれているのです。血はたしかに体をきよめます。そう考えると、血が罪をきよめるということも、何となくわかるような気がするのではないでしょうか。
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