2022年11月23日(水)

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聖書一日一章     ヘブル人への手紙 11章

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はるか遠くにそれを見て喜び迎えました。(13節)

著者はキリストのことをすべての人の永遠の大祭司として語ってきました。ここでは、1節で「信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人々は、この信仰によって称賛されました」と言って、旧約聖書の信仰者たちがどのように信仰に生きたかを語ります。

さて、13節では、「約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎えました」と言います。アブラハムとその子のイサク、その子のヤコブのことを言っているのですが、「約束のもの」とは、神が約束された星の数のような子孫と彼らからなる国、パレスチナの所有のことです。それは、実現するまでに何百年もかかる壮大なビジョンでした。はるか遠くのことで、生きている間に手に入るようなものではありませんでした。それなのに、それを喜び、あこがれて生きたというのです。彼らは生きている間に手に入るものよりも、はるか遠くの神が約束されたものをあこがれました。そのことは、敬虔な人たちに共通しています。エノクはほかの人よりはずっと早く、神のもとに移されていなくなりましたが、神がそうされたのは、エノクが神のもとにいることを望んだからだと思います。エノクはこの世の幸せよりも、はるか遠くの、神のもとにある、さらに大きな幸せをあこがれたのです。モーセも目の前のエジプトの宮廷での優雅な生活よりも、はるか遠くの、神がパレスチナに建てられる信仰の国の礎となることをあこがれました。

私たちは、もともとは神を知らず、見える世界しか知らず、見える幸せを手に入れたいと思っていました。しかし、キリストと出会い、神を知ったときに、はるか遠くの、見える世界よりもずっとすばらしい世界があることを知りました。そして、見える世界の幸せよりも、そのはるか遠くの世界での幸せをあこがれるようになったのです。新聖歌517番。「はるかに仰ぎ見る、輝きの御国に、父の備えましし、美しき住処あり。われら、ついに、輝く御国にて、きよき民と、共に御前に会わん。」

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成