2022年11月24日(木)

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聖書一日一章     ヘブル人への手紙 12章

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競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。(12節)

著者は、キリストがすべての人の永遠の大祭司であることを語り、信じるように勧め、旧約聖書の人々がどのように信仰に生きたかを語りました。ここでは、いろいろ困難があっても、キリストの生き様をしっかり見つめ、神の訓練と思って忍耐し、天のすばらしさを思って信じ続けるように励まします。

さて、1節では、「自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか」と言います。信仰の歩みを競走にたとえています。そう聞くと、クリスチャン同志で競走をしているような、上位につかなければ天国に入れないような印象を受けますが、そんなことはありません。競走と言っても、順位を競うものではなく、体力検定のようなもので、順位や時間はどうでもよく、脱落しないで、ゴールにたどり着けばよいのです。しかし、そのためには、忍耐が必要です。私は、脱落しないために一番大切なことは、信じて歩むことをいやにならないことではないかと思います。たどたどしい歩みでも、続けていれば、必ずゴールすることができるからです。

それでは、いやにならないためには、どうすればよいでしょうか。キリストもその恵みもすばらしいので、普通ならいやにならないのですが、この世の見える物に心を奪われてしまうと、見えないもののためにそんなに努力するのは面倒だと感じるかもしれません。キリストはマルコの福音書4章の「四つの種」のたとえ話の中で、「この世の思い煩いや、富の惑わし、そのほかいろいろな欲望が入り込んでみことばをふさぐので、実を結ぶことができません」と言われました。この世の思い煩いや富の欲望に心を奪われると、目に見えないものへの関心が薄れてしまうのです。14節で、「聖さを追い求めなさい」と言うのは、この世の見える物に対する欲から離れるようにということでしょう。また、22節では、目に見えない天のすばらしさをいつも思っているように勧めます。「あなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都、無数の御使いたちの喜びの集い、天に登録されている長子たちの教会、すべての人のさばき主である神、完全な者とされた義人たちの霊、さらに新しい契約の仲介者イエスです。」

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