2022年11月26日(土)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章     ヤコブの手紙 1章

_____________________________________________________________________________

成熟した、完全な者となります。(4節)

この手紙の著者ヤコブは、弟子のヤコブではなく、キリストの兄弟のヤコブと考えられています。彼はよみがえったキリストに出会って初めて信じ、使徒の働き15章のエルサレム会議のときには、ペテロとともにエルサレム教会の指導者になっていました。「離散している十二部族に」宛てて書いていますが、本来の意味だと、国外に移り住んだユダヤ人のことですが、ここでは、迫害で散らされたユダヤ人クリスチャンを指していると思われます。

さて、ヤコブは2節で、「様々な試練にあうときにはいつでも、この上もない喜びと思いなさい」と言います。試練がどうしてそんなに良いのでしょうか。「信仰が試されると忍耐が生まれ」るからであり、「その忍耐を完全に働かせ」ると、「何一つ欠けたところのない、成熟した、完全な者とな」るからだと言うのです。たしかに試練によって、それなしでは得られない経験をし、学び、信仰的にも人間的にも深みを増すことができるでしょう。しかし、「何一つ欠けたところのない、成熟した、完全な者とな」ると言うのは、目ざしているところがまったく違います。少し向上すればよいというのではなく、完全な者になるまで成長し続けよというのですから。子どもや若い人は、いろいろな意味で日々成長していますし、自分でももっと成長したいと思うでしょう。しかし、老いと死があるので、成長し続けるのは無理ですし、成長しようとも思わなくなるでしょう。しかし、ヤコブはたましいのことを考えています。たましいに老いや死はありません。とくにキリストによって新しく生まれ、罪から解放されたたましいは、元気で、常に成長し、本人が年を取っても成長し続け、いのちのある限り、完全な者を目指して成長し続けます。パウロがコリント人への手紙第二4章16節で、「私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」と言う通りです。私たちはこの世の人々が人間を見るようには見ないようにしましょう。私たちは人間の外側ではなく、たましいを見るようにしましょう。そして、いつも自分のたましいも兄弟姉妹のたましいも、完全な者になるように望み、成長のために祈り、成長に役立つことに励みましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成