2022年11月27日(日)

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聖書一日一章   ヤコブの手紙 2章

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神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とされた。 (5節)

ヤコブはここでは人を差別することを戒めます。集会にやって来る人々に対して、立派な身なりの人には、「こちらの良い席にお座りください」と言い、貧しい人には、「あなたは立っていなさい」と言うような差別を戒めます。差別がいけないことは、だれもが知っているでしょう。それでも、この世に差別がなくならないどころか、現在も差別がいっぱいです。それは、人が人を見る見方が差別的だからです。そこで1節で、「栄光のイエス・キリストへの信仰を持っていながら、人をえこひいきすることがあってはなりません」と言います。「なりません」と命じていますが、むしろ、キリストを信じているなら、差別はできない、あるいは、できなくなるということでしょう。

まず、私たちは神を信じ、神がアダムとエバを造られ、二人の子孫としてすべての人が生まれてきたと信じています。ということは、すべての人は同じ親から生まれてきた同じ人間です。同じ人間を差別することはおかしいです。また、神を知っていくと、パウロがローマ人への手紙2章11節で「神にはえこひいきがない」と言うように、神がだれも差別せず、すべての人を平等に扱われることを体験します。また、私たちは神の御子キリストを信じています。そのキリストはここで「栄光のイエス・キリスト」と呼ばれておられるように、栄光つまりすばらしい本質で満ちておられます。人間を見ていると、容姿の違い、能力の違い、魅力の違い、生まれの違いなどが目立ちますが、キリストを見ていると、だれも比べ物にならず、人間の違いがどんぐりの背比べのように思えてきます。さらに、5節では、「神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束された御国を受け継ぐ者とされた」と言います。この世には生まれながらに恵まれた人と、いろいろな意味で貧しい人、体が弱かったり、障がいがあったり、家庭環境が悪かったり、様々なハンディーがあったりする人がいます。そのような意味で貧しい人は、恵まれた人より、たしかにキリストを信じることが多く、天国を約束されることも多いです。また、キリストを信じる人の内におられる聖霊は、私たちがだれかを差別すると、それは蔑むことでもありますが、そうすると悲しまれます。私たちも悲しくなり、だんだんしなくなるのです。

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