2022年11月28日(月)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章     ヤコブの手紙 3章

_____________________________________________________________________________

舌を制することができる人は、だれもいません。(8節)

ヤコブはここでは、信仰の教師になるのに慎重であるように勧めます。教師は教えるという意味で人々の上に立つ光栄な務めですが、それだけに神に対する責任が重く、過ちを犯した場合に神からより厳しく責められるからです。そして、教師がとくに犯しやすい過ちとして、ことばによる過ちを警告します。舌は制御困難で、しばしば暴走し、大言壮語したり、人を呪ったりして、罪を犯させ、神の御名を汚させると言います。しかし、14節では、それは舌が悪いのではなく、「心の中に、苦々しいねたみや利己的な思いがある」からだと分析し、「上からの知恵」、神の知恵を求めるように勧めます。

さて、ヤコブは8節で、「舌を制することができる人は、だれもいません」と言いますが、この言葉に、私は自分が口下手であることを幸いだと思いました。私はずっと喋ることにハンディーを感じてきました。無口な人もいますが、私の場合は、喋りたいのに言葉が出て来ず、「あの、その、ええっと」となってしまうのです。牧師という喋る仕事の中でずいぶん訓練されて、少しはましになりましたが、言葉がスムーズに出て来ないのは同じです。よく準備したことを話すのならできるのですが、ぶっつけ本番ではぜんぜんだめです。お喋りを楽しむと言いますが、私の場合は喋るのには労力が要り、お喋りを楽しんだことはありません。思いのままに喋れる人がうらやましくてなりません。しかし、私は今日のみ言葉で気づきました。もし思いのままに喋れたなら、大きな過ちを犯していただろうと。巧みな言葉で人を酔わせ、思い通りの方向に誘導していたかもしれません。耳障りのいい言葉でその気にさせ、都合のよいように利用していたかもしれません。巧みな論理で異なる意見の人をねじ伏せていたかもしれません。あるいは、憎らしい相手を、自分の正義によって言い返す暇もなく責めまくり、こてんぱんにしていたかもしれません。いわゆるモラルハラスメントです。しかし、主は、喋ろうとするときに、うまく言葉が出てこないようにして、守ってくださいました。私の心の中に「苦々しいねたみや利己的な思い」が多いので、それが神の御名と自分自身を汚すことがないように守ってくださったのです。心が聖霊によってもっときよめられたら、もっと言葉を与えてくださると思います。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成