2022年12月3日(土)
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聖書一日一章 ペテロの手紙第一 3章
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たとえ義のために苦しむことがあっても、あなたがたは幸いです。
(14節)
ペテロはここでは、クリスチャンの夫婦に対し、お互いにどんなことに心がけるべきかを教え、また、すべてのクリスチャンに、だれに対しても善良で柔和であるように、悪いことをする人にもそうあるように勧めます。
さて、14節では、「たとえ義のために苦しむことがあっても、あなたがたは幸いです」と言います。苦しむことがあっても幸いというのは矛盾した言い方です。普通は、苦しむことは不幸であって、幸いとは言いません。しかし、ペテロは、同じ苦しむのでも、「義のために」苦しむことを、たまたま起こってきた災いで苦しむのとは、別のことと考えています。同じ苦しむのでも、その目的が「義」という神の目に最も価値のあるものであり、その価値のゆえに、苦しむことがあっても幸いだということです。私たちの目当てであるキリストも、「義」のために苦しまれました。その苦しみの結果、多くの人が救われ永遠の幸福を得ています。しかし、そういう成果がないとしても、キリストは「義」のために苦しまれたでしょう。「義」に価値があるからです。
教会もこの「義」のために活動していると言ってもよいでしょう。教会のしている伝道や慈善の活動は、目に見える成果があがるとは限りません。徒労に終わることも多いですし、かえって悪口を言われたり、反発されたりすることもあります。この世のビジネスなら、失敗だと評価されるでしょう。しかし、教会の活動の目的は「義」であり、「義」に価値があるのです。結果がどうであれ、幸いです。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
