2023年1月4日(水)

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聖書一日一章     ヨハネの黙示録 19章

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ご自分のほかはだれも知らない名が記されていた。(12節)

使徒ヨハネは幻を見続けていますが、7つの頭と十本の角を持つ獣と、その上に乗った赤い衣を着た女が滅ぼされるのを見ました。悪魔的権力者とそれが拠点とする大都市を指すと考えられます。ここでは、その滅亡に対する天における喜びの光景と、白い馬に乗った方が天から下り、地の軍勢と戦われる様子を見ます。この白い馬に乗った方は、1章に登場したキリストの姿とそっくりなので、キリストと考えてよいでしょう。

さて、そのキリストについて、12節には、「その頭には多くの王冠があり、ご自分のほかはだれも知らない名が記されていた」とあります。聖書の時代には、名はそれを持つものの本質を表すと考えられていましたし、そのような名をつけました。ですから、その多くの王冠にはキリストの本質を表す多く名が記されていたのでしょう。しかし、だれもその名を知ることができなかったということは、キリストの本質の多くは、私たちには知ることが許されないということです。キリストは、私たちがよく知りたいと思って、いくら聞き、見、学び、努力しても、知り尽くすことができない方です。パウロはピリピ人への手紙3章で、キリストを知っていることのすばらしさを話し、もっと知りたいと強く願っていることを話した上で言います。「私はすでに得たのではありません。ただ捕えようとして追求しているのです。」

私は14歳のときにキリストを信じて以来、ずっとキリストのことを学んで来ましたが、まだわからないことでいっぱいですし、一生学んでも知ることができるのは、わずかでしょう。自分が死んで復活して天国に入るときには、目が開けるし、顔と顔を合わせてキリストと交わることができるので、キリストを知る点では今とは格段の違いがあるでしょう。それでも、キリストは神なので、知らないことは無限にあると思います。だとすれば、キリストは永遠に知り尽くすことのできない方です。しかし、それは残念なことではなく、むしろ楽しいことではないでしょうか。というのは、つねに発見があり、感動があり、わかったという喜びがあり、もっと知りたいという興味が湧き、もっと知ることができるという楽しみがあり、わくわく感があるからです

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成