2023年1月7日(土)
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聖書一日一章 ヨハネの黙示録 22章
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もはや、のろわれるものは何もない。(3節)
使徒ヨハネは見ている幻の中で、新しい世界、いわゆる天国を見ました。そこには、純金や宝石でできた新しい都エルサレムがあり、その真中に神とキリストの王座があり、その王座から光が出て都全体を照らしていました。この章では、「水晶のように輝く、いのちの水の川」を見ます。神とキリストの王座から川が流れ出て、新しい世界のあらゆる所を潤し、その両岸にいのちの木が生え、多くの実を結び、すべての人を養っていました。
さて、3節では、「もはやのろわれるものは何もない」と言います。のろわれるものとは、なくなってしまえと人々が思うものです。この世界には、のろわれるものがたくさんあります。ゴキブリやクモは多くの人にとってのろわれるものでしょう。新型コロナやガンなどの病気はすべての人にとってのろわれるものでしょう。地震や洪水などの災害もそうでしょう。私たちは幸い平和な国に住んでいますが、戦争の渦中にある人々は、どれほど戦争をのろっていることでしょうか。夫婦や親子など関係の深い人との争いは、ほんとうに嫌なものです。天国ではそんなのろわれるものが何もないというのです。なんと幸せな世界でしょうか。天国をあこがれます。
このようなのろわれるものは、罪とともにこの世界に存在するようになりました。創世記3章では、罪を犯したアダムに、神は、「大地はあなたのゆえにのろわれる」と言われました。この世界ののろわれるものすべてとそれによる人間の苦労は、みなそこから始まっています。愚かなことをしてくれたものです。しかし、キリストはそのすべてののろいから私たちを解放してくださいます。パウロはガラテヤ人への手紙3章13節で、「キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました」と言います。キリストはご自身を信じる者を罪から贖い出してくださいましたが、同時に、のろいからも解放してくださいます。この地上においては本質的な点で解放し、やがて天国において完全に解放してくださいます。そのために、のろいから最も遠い方であるキリストご自身が、のろわれた者となってくださったのです。
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