2023年1月9日(月)

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聖書一日一章    創世記 2章

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この日を聖なるものとされた。(3節)

神が天地を創造された後、7日目に休まれたこと、人間を創造されたことの詳細、エデンの園のこと、結婚という仕組みを定められたことが記されています。ここでの創造の記述は、1章のものとかなり違いますので、どう調和させればよいのかと思いますが、1章は時間的順序に沿って述べられ、ここでは、人間との関係や意義に沿って述べられていると考えます。

さて、3節には、「神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた」とあります。神が天地万物の完成を喜び、その日を記念して特別な日とされたというのです。これが安息日の掟の根拠となっています。つまり、神が7日目に休まれたので、人も7日目に休まなければならないということです。ユダヤ人は現在に至るまでこの掟を守って、安息日である土曜日にはすべての仕事をやめて休みますが、クリスチャンは気にしません。キリストが週の初めの日、つまり日曜日に復活されたので、日曜日が安息日になったと考える教会もありますが、聖書には、神が安息日の曜日を変えられたという教えはありません。ですから、クリスチャンはほんとうに気にしていないのです。

とはいえ、神が世界の初めに7日目を聖なるものとされたとすれば、それは永遠の掟で、気にする、気にしないの問題ではなく、すべての人が守らなければならない掟のはずです。人がその曜日を変えるなど、とんでもないことです。しかし、私たちが安息日を気にしていないのは、神の掟を軽んじているからではなく、キリストが私たちをすべての掟から解放し、安息日の掟からも解放されたと信じているからです。むしろ、キリストが教えられたように、安息日の趣旨、神を心から愛し、隣人を愛して良いことするという趣旨を毎日実行していきたいと思っているのです。

それにしても、神が永遠に定められた安息日をなくしてしまうというのは、すごいことです。神のひとり子キリストは、神とともに天地を創造し、神とともに7日目に休み、神とともにその日を聖なるものと定められた方だからこそ、できるのでしょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成