2023年1月11日(水)
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聖書一日一章 創世記 4章
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もし良いことをしているのなら、受け入れられる。(7節)
最初の人アダムとエバの子、カインとアベルの話です。カインは農夫となり、アベルは羊飼いとなりました。収穫の時期になって、二人はそれぞれ神にささげ物をささげましたが、神はアベルとそのささげ物だけに目を留められました。そのため、カインは激しく怒り、アベルを殺しました。神はカインを咎められましたが、彼は無視し、東の地で町を建て一族を形成しました。
さて、神が、なぜ、アベルとそのささげ物に目を留められ、カインとそのささげ物には目を留められなかったのか、気になりますが、それを知るために、カインが激しく怒ったときに、神が言われた言葉に注目しましょう。「もし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。もし良いことをしているのなら、受け入れられる。」ここで、「良いことをしていないのであれば」とは、何を指しているのでしょうか。怒っていることでしょうか。怒りは感情であって罪ではないので、別のことでしょう。最後の「受け入れられる」は、ささげ物が受け入れられるという意味です。すると、良いことをしていれば、ささげ物が受け入れられる、良いことをしていなかったから、ささげ物が受け入れられなかったということになります。つまり、神がえこひいきして、カインとそのささげ物に目を留められなかったのではなく、カインが悪いことをしていたから、目を留められなかったのです。
カインがどんな悪いことをしていたのか、記されていないので、知るよしもありませんが、ここでは、カインの悪い習性を見せられます。自分は悪いことをしているのに、ほかの人がほめられると、自分のことは忘れて、ほめられた人をねたみ、激しく怒るという習性です。私たちにも当てはまる習性です。この習性を持っている限り、キリストの恵みを受けることはできません。ヨハネはその第一の手紙1章8節と9節で言います。「もし自分に罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。もし私たちが自分の罪を告白するなら、神はその罪を赦し、私たちをきよめてくださいます。」怒るよりも、自分を省み、自分の悪い点を告白し、赦しときよめを祈りたいと思います。
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