2023年1月18日(水)
_____________________________________________________________________________
聖書一日一章 創世記 11章
_____________________________________________________________________________
彼らは石の代わりにれんがを、漆喰の代わりに瀝青を用いた。(3節)
有名なバベルの塔の話です。ノアの子孫が増え、「シンアルの地」すなわちメソポタミア平原に定住したとき、町を建て、「頂きが天に届く塔」を建てようとしました。しかし、神は、「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない」と言って、人々の動きを危険視されました。そこで、言葉を混乱させ、互いに通じないようにされたので、人々は塔を建てるのをやめ、各地に散って行きました。「バベル」とはバビロンのことですが、バビロンで全世界の言語が分かれたというよりも、前の章ですでに国と言語が分かれていますので、世界で同時多発的に起こったことだったのでしょう。
さて、人々が塔を建てようとしたのは、建築技術の飛躍的進歩のせいでした。それまで石と漆喰を使っていたのに、日干しれんがを発明し、アスファルトで接着することで、はるかに早く建物を建てることができるようになりました。しかし、それだけではなく、技術の進歩によって、人と力と財が、家族や親族単位だったのに、広範囲から集中し、国家的な権力が生まれたことも原因です。しかし、その変化が人々を、神を崇める方向ではなく、人間の力を誇り、神を無視する方向に進ませました。同時に、貧富の差と虐げられる階級が生まれたと思います。いつの時代も、技術革新が起こるごとに、同じことが起こります。18世紀に産業革命が起こると、資本家と労働者に階級が分かれました。同時に無神論もさかんになりました。最近のIT革命は世界の貧富の差をさらに拡大し、無神論的な傾向を強めています。技術革新は人と力と財を集中させますが、人々をばらばらにするばかりです。
一方、キリストもあらゆるものを一つにするために来られました。パウロはエペソ人への手紙1章10節で、「一切のものが、キリストにあって、一つに集められる」と言います。実際、人々がキリストを信じたとき、使徒の働き4章32節のようなことが起こりました。「人々は心と思いを一つにして、だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた。彼らの中には、一人も乏しい者がいなかった。」
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
