2023年1月19日(木)

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聖書一日一章    創世記 12章

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アブラハムは75歳であった。(4節)

ノアの子セムの子孫のアブラハムは、メソポタミア、現在のイラクあたりの古い町ウルの出身で、父の一族とともにハラン、現在のトルコとシリアの国境辺りに移住していました。そこで、あるとき神の声を聞きました。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福する。」アブラハムはその声に従い、妻のサラとおいのロトとしもべたちを連れて旅立ち、神に導かれるまま進みましたが、パレスチナにさしかかったとき、神が「わたしはあなたの子孫にこの地を与える」と言われました。

さて、4節に「ハランを出たとき、アブラハムは75歳であった」とありますが、この言葉が心にとまりました。私は初めてこの箇所を読んだ中学生のときには、75歳と言うと、相当年取ったおじいさんという感じで、そんな年になって新しい人生を始めるということが信じられませんでした。さらに、10節以下には、エジプトで妻のサラが見目麗しいことでファラオつまり王に見染められ、召し入れられたとありますが、65歳と言えば、中学生の私にとってはおばあさんで、そんな人が見染められるということが信じられませんでした。しかし、年齢の感覚というのは時代によって変わるもので、現在の70代は昔の70代と全然違いますし、60代というと、仕事にスポーツに趣味に、いわば青春を謳歌しているような人が少なくありません。こんなにも変わるものでしょうか。今なら、アブラハムのように75歳で新しい旅立ちをすることは、けっして遅すぎることではないように思います。とくに、クリスチャンにとっては、死は終わりではありませんから、遅すぎるという概念すらありません。クリスチャンの人生全体が天国を待ち望む人生と言えますが、とくに老年は、神に会う備えをする大切な時期です。信仰を守り通すことはもちろんのこと、大きな喜びをもってその時を迎えることができるように、なお一層の信仰的飛躍をしたいと思います。

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