2023年1月21日(土)

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聖書一日一章    創世記 14章

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私はあなたの所有物から何一つ取らない。(23節)

アブラハムが神の声を聞いて旅立ち、パレスチナに来て住み、同行した甥のロトは別れてソドムという町で暮らしていました。しばらくして、東のメソポタミア平原で力を持つ4人の王が連合してパレスチナに遠征して来て、荒らし回り、ロトのいるソドムと周辺の町々を襲い、住民とすべての財産を奪い去ったので、ロトとその家族もさらわれてしまいました。それを知ったアブラハムは、家のしもべたちを率いて追跡し、さらわれた人々と奪われた財産を取り返しました。アブラハムが凱旋すると、メルキゼデクという人が迎えに来ました。彼はサレムという町の王で、アブラハムと同じ神に仕える祭司で、アブラハムを祝福し、アブラハムは喜んでその祝福を受けました。

さて、ソドムの王も迎えに来て、取り返した財産をお礼にあげると言いましたが、アブラハムは神に誓って言いました。「糸一本、履物のひも一本さえ、何一つ取らない。それは、『アブラハムを富ませたのは、この私だ』とあなたが言わないようにするためだ。」アブラハムがこのように徹底して受け取りを拒否したのは、前の章で述べられていたように、ソドムの人々が神の目に甚だしく邪悪だったからです。神を見下すような人から物をもらいたくないということでしょう。マタイの福音書10章では、キリストが十二弟子に、「だれかがあなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家や町を出て行くときに足のちりを払い落としなさい」と言われました。神が救い主を送られ、その救い主のことを伝えに来たのに、耳をふさぐ人々には、少しも世話になりたくないし、足のちりでももらいたくないということでしょう。また、パウロは、コリント人への手紙第二6章14節で、「不信者と、つり合わないくびきをともにしてはいけません」と言います。くびきをともにするとは、持ちつ持たれつの関係になることです。神を否定し、神が嫌われることをしている人とそんな関係になることは、神が嫌われる人から益を受けることになるからです。もっともこの世で生活している限り、そういうことをまったく避けることはできません。ただ、神を見下すような人々に頼ることがないようにしましょう。頼るのなら、神に頼り、不信者に対しては、愛をもって与えるほうの立場でいたいものです。

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