2023年1月22日(日)

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聖書一日一章    創世記 15章

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わたしはあなたの盾である。(1節)

アブラハムがパレスチナに来てしばらくして、東の国々の王たちが遠征して来、町々を略奪したので、ソドムにいた甥のロト一家もさらわれましたが、アブラハムはしもべたちを率いて追跡し、奪われたものをすべて取り返しました。ソドムの王は取り返した財産を全部取ってくれと言いましたが、アブラハムは王が神を敬わない人だったので、きっぱり断りました。この章はその直後のことですが、アブラハムは幻を見、その中で神が、子どものない彼に子が生まれ、子孫が星の数のようになると約束されました。アブラハムは神を信頼してその約束を信じましたが、神はその信仰によって彼を義と認め、契約を結ばれました。その契約のために一つの儀式、アブラハムが雌牛と雌やぎと雄羊を真っ二つに切り裂いて、向かい合わせに置くと、日が沈んだとき、その間を煙の立つかまどと燃えるたいまつが通り過ぎるという儀式をされました。これには深い意味があるのでしょうが、よくわかりません。

さて、1節の神の、「恐れるな。わたしはあなたの盾である」という言葉が心に留まりました。盾は剣とともに戦いの武具ですが、とくに身を守るための随一の武具です。私たちは戦いたくはありませんが、危険なときに、手に取れるものを盾にして身を守ることがあります。神はアブラハムをご自分が盾となって守ると言われるのです。それはアブラハムと同じように神を信じる私たちにも言われることです。なんと安心でありがたいことでしょうか。アブラハムにそう言われたのは、そのとき彼に恐れがあったからです。彼は東の国の王たちを不意打ちにしたのですから、彼らが仕返しに戻ってくるかもしれません。いのちの危険を感じていたでしょう。また、2節で、「私は子がないまま死のうとしています」と言っているように、財産は持っていても相続させる子がなく、むなしく寂しく死んでいくことを恐れていました。また、6節は、神が彼を義と認められたと言いますが、神がそうされたのは、彼が神の基準に自分がかなわないのではないかという恐れを持っていたからでしょう。私たちもいろいろな恐れがあります。そんな私たちのために神は盾となってくださるのです。それを普通のことと思ってはなりません。普通は、家来が王を守るのに、王である神が守ってくださるのです。

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