2023年1月23日(月)

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聖書一日一章    創世記 16章

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身を低くしなさい。(9節)

アブラハムは神から子孫を祝福すると約束されて、パレスチナに来ましたが、10年経っても肝心の子が生まれませんでした。そこで妻のサラが自分の女奴隷ハガルに夫の子を産ませることを提案し、アブラハムも承諾しました。しかし、ハガルは子を身ごもったとき、サラを見下すようになり、耐えられなくなったサラがきつく当ったので、彼女は家を出ました。神は天使を遣わし、彼女に家に帰るように命じ、彼女の子孫も増し加えると約束されました。

さて、神はハガルに「身を低くしなさい」と命じられました。問題の原因は、女主人を見下したことですし、家を出たままでは野たれ死ぬだけですし、家に帰り、身を低くしてそこにいることが唯一の道でした。それにしても、もともと、サラが自分たち夫婦の都合で彼女に身ごもらせたのですし、ハガルが見下したのは悪かったとしても、少し見下したからと言って、つらく当たるのはひどいと言えます。それ以前に、奴隷の身分制度や夫の子を産ませること自体が人権侵害で、受け入れられないのではないでしょうか。しかし、現在の常識で4千年前の社会を批判することはできません。社会がそういう形で成り立っていたのですし、奴隷自身も良い主人のもとでは不満はなかったでしょうし、家を出ても生きてはいけなかったでしょう。パウロはコロサイ人への手紙4章1節で、主人たちに、「奴隷に対して正義と公平を示しなさい」と命じますが、解放しなさいとは言いません。急激な変化は悲劇を生むこと、社会制度を変えるには長年かかることを知っていたからでしょう。

パウロは同じ箇所で奴隷たちには、「あなたがたは、主から報いとして御国を受け継ぐことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです」と言います。キリストを信じる奴隷たちは、主人に仕えているようでも、キリストに仕えているのであって、生きがいも永遠の報いの望みもあったのです。キリストを信じる主人たちもキリストに仕えているのであって、仕えることは同じです。そして、仕える上で大事なことは、身を低くすることです。キリストを信じる奴隷たちも主人たちも身を低くすべきでした。それがその社会制度の中で、神からも人からも報いを受ける道だと思います。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成