2023年1月25日(水)

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聖書一日一章    創世記 18章

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主にとって不可能なことはあるだろうか。(14節)

アブラハムは、神から子孫が空の星のように多くなるという約束を受けたのに、何年経っても子が生まれませんでしたが、彼が99才になったとき、神は改めてその約束を確認し、契約を結ばれました。ここでは、それからしばらくして、3人の人が訪れたことを記しています。この3人は次の章でわかりますが、天使でした。来年の今ごろサラに男の子が生まれることを告げ、また、ロトが住むソドムの町が滅びることを告げました。

さて、天使がサラに子が生まれることを告げたとき、あまりにも信じがたいことなので、彼女自身思わず笑ってしまいましたが、天使は、「主にとって不可能なことがあるだろうか」と言いました。神には不可能なことがない、これは私たちの神についての基本的な信仰です。私たちはいつも「全能の父なる神を信ず」と言っていますし、そのように信じています。しかし、今一度、神には不可能なことはないと、ほんとうに信じているだろうか、現実の問題においてほんとうにそう信じているだろうかと、改めて問われました。

私たちは、心でそう信じているのですが、現実に難しいことが起こってくると、「ああ、むりだ」と思ってしまうのです。それは、心の中で信じているだけではだめだということでしょうか。そうではないと思います。パウロはローマ人への手紙10章10節で、「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われる」と言います。どこにも現実の問題で信仰が真実であることが証明されて、義と認められるとは言われていません。心で信じているだけでよいのですが、その信仰は現実の問題で試されて強くなる必要があるということでしょう。信仰は試されなければなりませんし、試されれば必ず強くなるものです。ヤコブはその箇所で続けて言います。「その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは何一つ欠けたところのない、成熟した、完全な者となります。」

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