2023年1月26日(木)

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聖書一日一章    創世記 19章

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主のあわれみによることである。(16節)

アブラハムを訪れた天使たちは、ソドムの町に行き、おいのロトの家を訪れましたが、夜、群衆が取り囲み、彼らを引き出せと要求しました。天使たちが美しかったので、同性愛的な欲望を持ったのでしょう。群衆が押し入ろうとしたとき、天使たちは閃光で撃退し、ロトに、この町を滅ぼすことにしたので、家族を連れてすぐに逃げ出すように言いました。ロトが町から離れたとき、天から火が降り注ぎ、その辺り一帯がかまどのようになりました。

さて、16節では、「これは、彼に対する主のあわれみによることである」と言われています。天使がロトを訪れ、ソドムの滅びを予告したのは、創世記を読んでいると、神がその町を滅ぼす前に予告されたことで、そんなに特別なことのような感じがしません。しかし、それは神の目で見ているからで、地上のことしか見えない人にとっては、大規模な自然災害であり、直前に自分だけ知ることができるというのは、ありえない幸運で、神の特別扱いでした。ロトも神が特別に知らせてくださったとわかっていたはずです。それなのに、ぐずぐずしていました。娘たちの婿たちがまったく信じず、連れて行けなかったからです。そのため、天使たちは、「妻と娘たちだけでもすぐに連れて逃げ、助かりなさい」とせき立てました。天使たちとしては、きちんと危険を伝え、責任を果たしたのですから、そのまま去ってもよかったはずです。それなのに、夜明けまでいたのは、何とか救いたいという気持ちからでした。どんなにじれったい思いでいたことでしょうか。それでもロトはためらっていました。この期に及んで何をためらうかと思いますが、それは、大変な事態に直面したときの私たちの姿ではないでしょうか。神を信じているのに、何が正しいか、何をするべきかわかっているのに、動けないのです。

ロトがためらっていると、天使たちは彼と妻と娘たちの手をつかんで引っぱって、町から連れ出しました。そのことを「主のあわれみによる」と言っているのです。そこまでしてくださるのは憐みによる以外にありません。私たちは愚かな人間です。とくに、危険が迫っているときは、愚かなことをしてしまいます。しかし、神は憐み深く、愚かさを覆ってくださるのです。

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