2023年1月30日(月)

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聖書一日一章    創世記 23章

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ヒッタイト人たちの目の前で、アブラハムの所有となった。(18節)

アブラハムの長年連れ添った妻サラが127才で死にました。アブラハムはサラを葬るのに、遊牧生活をしていて、土地を持っていませんでした。そこで、近くに住んでいたヒッタイト人たちに、エフロンという人の畑地の端にあるほら穴を買いたいので、彼に仲介してくれるように頼みました。エフロンは無償で提供すると言いましたが、アブラハムはどうしても適切な価で売ってほしいと頼み、畑地も合わせて銀400シェケルで買いました。

さて、アブラハムとエフロンは、その土地を売買するのに、ヒッタイト人の町の門の所、出入りする人々の目の前でしました。人々の目の前で、アブラハムが畑地を売ってくださいと頼み、エフロンが400シェケルで売りましょうと言い、アブラハムがその価の銀を支払いました。それは当時の取り引きの習慣でしたが、そうすると、大勢の人々が、売り主が付けた価も買い主がその価を支払ったことも見ているので、いわば彼ら全員が証人で、後で文句のつけようがなく、たしかな取り引きができます。

現在では、役所に登記するので、そんなやり方は不要だと思いますが、実際は、登記していない土地が多く、所有者のわからない土地も少なくないそうです。そんな土地の場合には、近所の人に尋ね回って所有者を確かめなければなりません。また、登記されていても、境界線までは登記されていないので、境界確定という手続きを踏みます。近所の人々に立ち合ってもらって、境界を確定するのです。4千年経っても、していることは変わりません。

このように契約は人々に見て聞いてもらって確かなものになります。このことから、ローマ人への手紙10章10節の言葉がよくわかりました。「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われる。」キリストを信じることによって義と認められるというのは一つの契約です。それは心ですることで、心で信じれば、十分です。しかし、心の思いは揺れ動きやすく、おぼろげであいまいです。自分でもよくわからないことがあります。人々の前で告白し、人々に自分の思いを聞いてもらえば、段違いに確かなものになります。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成