2023年2月1日(水)
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聖書一日一章 創世記 25章
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ヤコブは穏やかな人で、天幕に住んでいた。(27節)
アブラハムは妻サラの死後、ケトラという女性をめとり、6人の子をもうけ、175才で死にました。イサクは40歳でリベカをめとりましたが、子どもがなかなか生まれず、60歳になって双子が生まれました。兄のエサウは猟師となり、弟のヤコブは家の用事をするようになりました。ある日、二人の運命を決定づける出来事が起こりました。ヤコブが豆を煮ていると、エサウが猟からお腹をすかせて帰って来て、その煮物を食べさせてくれと頼んだので、ヤコブは長子の権利を売るように求めました。エサウは、死ぬほどお腹がすいていたので、「長子の権利など、何になろう」と言って、譲ると誓いました。しかし、その権利は神がアブラハムに約束された祝福を一番に受ける尊い権利だったので、神から「長子の権利を侮った」とみなされ、その子孫が神の約束から除外されることになります。
さて、27節には、「エサウは巧みな狩人、野の人であったが、ヤコブは穏やかな人で、天幕に住んでいた」とあります。二人は、同じ親から双子として生まれましたが、性格は大きく違っていて、成長するとそれが顕著になりました。ヤコブは穏やかな人で、いつも家にいて、家の用事をしていました。料理もしていたようで、母の話し相手になっていたかもしれません。一方、エサウはいつも野や森に出かけ、草や木の間を歩き回り、わなを仕掛け、シカやヤギを捕獲していました。虫を気にせず野宿し、猛獣に襲われる危険と隣合わせでした。二人の性格と生活はこんなに違いました。神はすべての人を、アダムとエバの子孫として同じ人間として生まれさせられますが、みな違う性格を持たせて生まれさせられます。その違いが、少しどころか驚くほど大きいのです。そのため、互いの無理解や差別が生じることが少なくありません。しかし、その違いは神がつけられたのだということを覚えましょう。クリスチャンも、同じキリストにより、同じ信仰によって救われていますが、もともとの人間が違うので、みな違っています。違う人間を理解したり受け入れたりすることは、けっして易しいことではありません。しかし、パウロはローマ人への手紙15章7節で言います。「キリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れ合いなさい。」
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