2023年2月6日(月)

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聖書一日一章    創世記 30章

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縞毛、ぶち毛、斑毛のものを産んだ。(39節)

ヤコブはおじラバンの所へ行きましたが、その娘ラケルに恋をし、結婚するために7年働き、結婚したものの、おじの策略で、姉のレアとも結婚させられてしまいました。レアとは望まぬ結婚だったので、愛せず、夫にうとんじられるレアは愛されているラケルに嫉妬し、反対に、ラケルは不妊だったので、子どもを産むレアに嫉妬しました。そのため、二人とも何とか産もうとし、自分の女奴隷に夫の子を産ませることまでし、出産競争になりました。

さて、ヤコブがおじに十数年仕えた後、故郷に帰ろうと思い、報酬を求めたところ、おじは羊の群れの中のぶち毛と斑毛と黒毛のものを約束しました。それなのに、その種類のものをすべて息子たちに与えて離したので、ヤコブは残りの羊を飼うことになりましたが、該当するものが生まれてくる可能性は皆無でした。しかし、ヤコブが、すずかけの木の枝の皮をはいで、羊が飲む水溜めの中に浸したところ、羊たちが該当するものを産んだというのです。神の奇跡でした。ここで心にとまったのは、ヤコブが腹を立て、「だまされた。ずるい」と言って、おじを憎むのではなく、その厳しい状況の中で、知恵を使って工夫し、逆境をはねのけたことです。怒っても憎んでも、何も良いことがありません。今何ができるかを考え、最善のことをしたほうが、ずっと自分のためになります。ヤコブにそれができたのは、旅の途中で天に届く階段の夢を見たのから始まって、神に触れる体験を多くしたからでしょう。

パウロはテモテへの手紙第二2章9節で、「この福音のために私は犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことばはつながれていません」と言います。逮捕され、拘留され、行動の自由を奪われれば、普通なら、「伝道ができない。権力者はひどい。裏で手を回した奴らが憎い」と思うところですが、そうは思わないのです。体は動けなくても、神の言葉はつながれることはない、「私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできる」(ピリピ4:13)と思ったのです。今回のコロナ禍で、今までできていたことができなくなってしまった方もあるでしょう。教会の活動もずいぶん制限されました。しかし、キリストの救いのみ言葉が妨げられるはずがありません。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成