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2023年2月9日(木)

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聖書一日一章    創世記 33章

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ヤコブは言った。「とんでもないことです。」(15節)

ヤコブは故郷に帰って来ましたが、重い課題が待っていました。自分に殺意を抱いていた兄エサウと会うことです。使いの者から彼が400人を従えていると聞いて、震え上がっていました。そして、いよいよ再会の時が来ました。ヤコブは家族としもべたちをいくつかのグループに分け、グループごとに会い、贈り物を渡してなだめ、最後に自分が何度もひれ伏しながら近づきました。しかし、エサウは走り寄り、ヤコブを抱きしめました。20年ぶりの再会を単純に喜んでいるようで、過去をすっかり忘れているようです。案ずるより産むが易しですが、そこには神の働きがあったに違いありません。

さて、エサウの気さくでフレンドリーな態度に対して、ヤコブの態度は、よそよそしく、その言葉はいんぎんながらそらぞらしく聞こえます。エサウが自分は十分持っているから贈り物はいらないと言っているのに、無理に受け取らせたり、いっしょに行こうと言っているのに、子どもたちや幼い羊を口実に、先に行ってくれと言いました。さらに、何人かを手助けに残しておくと言ってくれると、「とんでもないことです。私はご主人様のご好意を十分に受けております」と言いました。ヤコブの本音は、関係を持ちたくない、借りを作りたくない、早く離れたいでした。危害を加えられるのではないかと恐れていた相手ですから、仕方がないですが、兄が過去を忘れて再会を喜んでくれたのですから、もう少し気をゆるしてもよかったのではないでしょうか。しかし、ヤコブにとってエサウは、仲違いする前から、もともと気の合わない苦手な人だったに違いありません。双子であっても、共有できることがなく、理解しにくく、気持ちの通じにくい人だったのでしょう。だれにでも苦手な人があります。義務でなければ付き合いたくなく、いっしょにいると息がつまり、少しでも早く離れたい人があるでしょう。キリストを信じれば、そういう人がなくなるかと言えば、そうではないように思います。同じ信仰を持っていても、別々の性格と賜物を与えられていますので、天国に入るまでは、無理でしょう。しかし、すべての人と気の合う方がおられます。キリストはだれにとっても気の合う方であり、気持ちの通じる方であり、何時間でもいっしょにいたい方です。キリストはだれの友にもなれる方です。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成