2023年3月1日(水)
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聖書一日一章 出エジプト記 3章
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燃えているのに柴は燃え尽きていなかった。(2節)
エジプトに移住したイスラエルの民は、新しい王朝から弾圧され、生まれる男の子をみな殺せとまで命じられました。そんな中で生まれてきたモーセは、奇跡的に王女に拾われ、王宮で育てられましたが、大人になると、同胞の苦役を見、エジプトに抵抗しようとし、指名手配され、シナイ山の近くの村に隠れました。長い年月の後、羊を連れて「神の山ホレブ」すなわちシナイ山のふもとに行ったとき、柴が燃えていて燃え尽きないので、不思議に思い、近づくと、神が語りかけられました。ご自分が父祖たちの神であること、民の苦しみを見たこと、救い出しパレスチナを与えること、そのために遣わすこと、ご自分の名が「わたしはある」だということ、去らせようとしない頑なな王を超自然的な災いによって屈服させることを告げられました。
さて、モーセが見た柴は、燃えていたのに燃え尽きませんでした。それは神が燃やし続けておられたからです。この世界のどんな物もいつまでも燃え続けることはできません。いつまでも燃やし続けることができるのは、無限のエネルギーを持った神だけです。それは、人間の活力についても言えます。人間の活力はみなそれぞれ違い、あきれるほど強い人もありますが、どんなに強い人も、疲れて動けなくなくなることがあり、気力が尽きて抜け殻のようになってしまうことがあります。一方、キリストを信じる人には、そういう生まれつきの活力とは別の、神が与えられる活力があります。それは弱ることも尽きることもありません。イザヤ書40章28節から31節は次のように言います。「主は永遠の神、地の果てまで創造した方。疲れることなく、弱ることなく、疲れた者には力を与え、精力のない者には勢いを与えられる。若者も疲れて力尽き、若い男たちも、つまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても衰えず、歩いても疲れない。」疲れたときは、休むべきです。体には限界があります。体を休めなければ、病気になってしまいます。しかし、休んで、体は回復しても、やる気が全然出てこないということがあります。そんなときは、あせらず、頑張って何とかしようとせず、上からの力にゆだねましょう。
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