2023年3月5日(日)

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聖書一日一章    出エジプト記 7章

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わたしはあなたをファラオにとって神とする。(1節)

モーセは神からイスラエルの民をエジプトの圧制から救い出すために遣わされ、王に面会し、イスラエルの民に礼拝を許すように求めましたが、王は怒り、かえって労役をきつくしたので、モーセは窮地に立たされました。そんな中で、神は、王は頑なに拒むが、ご自身の力で出て行かせると励まされました。モーセは再び王の所へ行き、神が授けられた、杖が蛇に変わる奇跡を行いましたが、王は聞き入れませんでした。翌朝、王がナイル川の岸に出て来るのを待ち受け、神が言われたように、杖で水面を打つと、水が血に変わりました。しかし、王は頑なになって聞き入れませんでした。

さて、1節で神はモーセに、「わたしはあなたをファラオにとって神とする。あなたの兄アロンはあなたの預言者となる」と言われました。「あなた」つまりモーセを「神とする」、アロンは「預言者となる」と、別々のことのように聞こえますが、モーセが神の声を聞き、アロンが語り、二人で一人の預言者の働きをしていましたので、その一つの働きについてのことです。それにしても、ファラオつまり王にとって「神とする」というのは、ぎょっとする表現です。しかし、それは預言者の本質的な立場なのです。預言者は神から聞いたことを忠実に語るので、神が語っておられるようなものです。ですから、預言者の語ることを受け入れることは、神を受け入れることであり、4節で言われるように、王は預言者の語ることを拒否しますが、それは神を拒否することで、大いなるさばきを受けることになるのです。

ですから、預言者の言うことには気をつけなければなりません。聞く人々にとって預言者は神であるからです。拒否すれば、それは神を拒否したとみなされ、さばきを受けることになるからです。神は多くの預言者を遣わされましたが、最後に、預言者の中の預言者としてキリストを遣わされました。預言者はみな聞く人々にとって神の立場でしたが、キリストはもともと神の御子であり、神であり、その方が預言者として神の立場で語られたのです。それは幸いなことです。キリストは愛に満ち、赦しに満ち、聞く人が拒否しても、7の70倍の回数、赦されるからです。

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