2023年3月15日(水)

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聖書一日一章    出エジプト記 17章

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岩から水が出て、民はそれを飲む。(6節)

エジプトを出たイスラエルの民は、シナイ半島南部のシナイ山に向かいましたが、砂漠を越えて「レファディム」というオアシスに着いたとき、飲み水が見つかりませんでした。人々は期待していた水がなかったので、モーセに怒りをぶつけました。モーセが神に祈ると、神はある岩を杖で打つように命じられ、その通りにすると、岩から水が出て、人々は飲むことができました。

水は生きるために一番必要なものです。日本では水が豊富なので、水の必要性を意識することがありませんが、雨のほとんど降らない地域では、切実です。とくに、イスラエルの民がいたシナイ半島は、ほとんど草木がなく、人も住んでいませんが、井戸があって水の得られる所は、木が繁り、農作も行われ、多くの人が住んでいて、水の力を見せつけられます。イスラエルの民が着いた「レファディム」は、モーセが長年隠れていた地で、オアシスなので、水はあったはずですが、住民が命がけで守っている水利権のために、すでにある井戸の水は飲めなかったのでしょう。それで、新たな水脈を見つけようとしたのでしょうが、そう簡単に見つかるものではありません。人々が怒ったのは、そのとき喉が渇いたこともあったでしょうが、今は何とかしのげても、いずれ行き詰まると絶望したからではないかと思います。

しかし、人々は、神が彼らをエジプトから救い出し、ともにいて支え、約束の地に必ず入らせられることを忘れていたのです。人間的には、このまま旅を続けても、行き詰まり、砂漠でのたれ死にするように見えても、神の力によっては、必ず約束の地に入ることができるのです。

私たちも、困難にあうときに、今回だけなら何とかしのげても、困難は引き続いてやって来るだろうし、もっと大きな困難がやって来るかもしれない、いずれ行き詰まってしまうと思って、絶望するのではないでしょうか。しかし、人間的にはそうであっても、神にはどんなことも可能だし、人間にはとうてい思いつかない道を用意しておられるので、絶望する必要はないのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成