2023年3月16日(木)
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聖書一日一章 出エジプト記 18章
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あなたがしていることは良くありません。(17節)
イスラエルの民はエジプトから旅をして、シナイ山の近くに宿営しましたが、そこはモーセが長年住んでいた所だったので、モーセのしゅうとイテロが訪ねて来ました。モーセは神が行われた数々の奇跡のことを話し、イテロは感動し、モーセに現れたイスラエルの神こそ真の神だと知りました。
翌日、モーセは人々のもめ事をさばいていましたが、人々は順番を待って一日中立っていました。イテロはそれを見て言いました。「あなたがしていることは良くありません。あなたも、民も、きっと疲れ果ててしまいます。このことは、あなたにとって荷が重すぎるからです。あなたはそれを一人ではできません。」そして、敬虔で誠実な人たちを見つけ、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として任命し、原則を教え、任せるように助言しました。イテロの案は実に理にかなっています。いくらモーセが神に熱心で、人々に尽くしたいと思っても、人間には限界があります。一人で何もかもすることはできません。敬虔で誠実な人を見つけ、任せることが必要です。もっとも、モーセもそんなことはわかっていたと思います。しかし、誠実な人であればあるほど、しんどいとか、できないとか言わないものです。モーセにとって、イテロは、神が彼の重すぎる荷を降ろすために送られた助けでした。
さて、神の原則を教え、敬虔で誠実な人たちを選び、能力に合わせて、千人の長、百人の長などの組織を作り、民を治めることは、この時点ではきわめて正しいことでした。しかし、新約聖書では、クリスチャンを治めるのに、そのような方法は用いられていません。使徒の働き6章では、貧しい人々への配給のために7人を選んだことが出てきますが、彼らは配給のために仕える人であって、長ではありません。使徒の働き14章では、パウロが教会毎に長老を選んだことが記されていますが、長老は支配する者ではなく、世話役だと思われます。キリストは、信じる者の間では、上に立つよりも仕えることを勧められました。この違いはなぜかと考えたときに、やはり信じるすべての人に聖霊が与えられ、聖霊が一人一人を導かれるからだと思いました。千人の長や百人の長の指導よりも、聖霊の導きのほうがずっと正しいのです。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成