2023年3月20日(月)

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聖書一日一章    出エジプト記 22章

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長子は、わたしに献げなければならない。(29節)

モーセはシナイ山上で、神から十戒を初め多くのみ言葉を与えられましたが、そのうちの、イスラエルの国のための刑法と民法です。ただこれは、旧約時代のイスラエルのためのもので、直接私たちのためのものではありません。

さて、29節で神は、「あなたの息子のうち長子は、わたしに献げなければならない」と言われます。どの家庭であれ、最初に生まれた子は、ご自身に献げるようにというのです。献げると言っても、どこかへ連れて行くわけではありません。民数記3章によると、神は、人々の献げた長子の代わりにレビ部族を仕えさせられるので、長子を献げたつもりでレビ部族を支えるようにということです。長子を献げるというのは、気持ちの上でのことです。

しかし、その気持ちに大きな意味があります。一般に親は子どもを自分のものと思いがちですが、子どもは、母親のお腹の中で、神が造り、いのちの息を吹き込み、人間として生きさせられる、神からのプレゼントです。神は親にそのことを自覚させるために、最初に生まれた子を感謝の献げものとして献げさせられたのです。献金も、自分の持っているものはすべて神から与えられたもので、もともと自分のものではないということを自覚するために、感謝のしるしとして献げるもので、その趣旨は同じです。

ところで、神は長子をご自身に献げさせ、その代わりにレビ部族をご自身に仕えさせられ、ご自身のためにさせておられますが、ほんとうはご自身のためではないように思います。というのは、神はすべてに満ち満ちている方で、何かを必要とすることがなく、仕える人が要るような方ではないからです。では、だれのためかというと、人々のためであり、その信仰のため、その良い生き方のため、その永続的な幸いのためだったのでしょう。実際彼らは、礼拝だけでなく、人々の宗教生活、教育、医療、裁判のために奉仕し、イスラエルの社会を農作だけから、大変豊かなものにしました。神は、人々が献げたものを、大きな視野で人々のために用い、人々を豊かにされます。神に献げることは、自分自身を豊かにするのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成