2023年3月22日(水)
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聖書一日一章 出エジプト記 24章
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彼らはイスラエルの神を見た。(10節)
この章は、話の流れとしては、19章の続きです。イスラエルの民がシナイ山のふもとに着いて3日目、山に濃い雲がかかり、雷がきらめき、角笛のような音が鳴り響いていました。翌朝、モーセは祭壇を築き、いけにえを献げ、その血の半分を祭壇に注ぎ、血のもう半分を、人々に、「主に聞き従います」と誓わせてから、振りかけました。この儀式は、当時、人同士で契約を結ぶときに、血を互いに振りかける習慣があったので、祭壇つまり神と、もう一方の人々との、両方に振りかけたことで、神とイスラエルの民とが契約を結ぶことを表していると思われます。その後、モーセとアロンとその子らと70人の長老がシナイ山に上って行き、途中で神を仰ぎ、それからはモーセだけが山の上まで登り、40日40夜そこに留まりました。
さて、モーセや長老たちは「神を見た」と言われていますが、実際には、10節に、「御足の下にはサファイアの敷居のようなものがあり、透き通っていて大空そのもののようであった」とあるように、神を直接見たのではなく、神の王座の敷居だけを見たのでした。旧約聖書中に何度か、「神を見た」とか「神が現れた」という表現がありますが、実際には、王座だったり、放出する光だけだったりするのでしょう。神は無限の存在ですから、ある形をしておられるはずがなく、とても目で見れないでしょう。
そのことを考えると、神が人となって、マリアからお生まれになったというのは、すごいことです。ヨハネの驚きがよくわかります。「(神である)ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。この方は恵みとまことに満ちておられた。」私たちはヨハネのようにキリストをじかに見ることはできませんが、私たちのうちにおられる聖霊によって、前を進まれるキリストを見ることができるのは幸いです。
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