2023年3月23日(木)

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聖書一日一章    出エジプト記 25章

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わたしはそこであなたと会見する。(22節)

イスラエルの民がシナイ山のふもとに着くと、神が呼ばれ、モーセが山に登り、40日40夜そこにいました。神は十戒をはじめ多くのみ言葉を与えられましたが、同時に、民がご自身を正しく礼拝するための幕屋の制作を命じ、その詳しい仕様を示されました。1節から9節は、その材料の一覧表で、人々の自発的な献品によって調達するように言われました。10節から22節は、十戒の石の板を納める箱、23節から30節は、供え物のパンを置く机、31節から40節は、幕屋の中を照らす金の燭台です。

さて、十戒の石の板を納める箱は、箱自体も純金をかぶせてありますが、ふたは全体が純金製で、上にケルビムという天使の、翼を広げた像2体が向かい合わせに載っていました。22節では、向かい合っている天使の像の間の空間について、神が「わたしはそこであなたと会見」すると言われます。神が人と会見するために臨在される場所は、偶像の宗教のように、像ではなく、幕屋という部屋であり、幕屋の中でも、神が刻まれた石の板でも、それを入れた箱でもなく、その上の天使の像でもなく、数十センチの何もない空間だったのです。神は形のない霊的な存在なので、何もない所に臨在されるのです。このことは、後に壮大な神殿が建てられると、忘れられたのではないかと思います。

しかし、キリストはヨハネの福音書4章21節と23節で言われました。「この山でもなく、エルサレムでないところで、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。」キリストによって、神が人と会見するために臨在される空間が開かれた、それも国に一つというのではなく、一人一人に開かれたのです。キリストはマタイの福音書6章6節で、「あなたが祈るときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして、戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が報いてくださいます」と言われます。キリストを信じる人にとって、家の奥の祈りの部屋が、神が臨在し、会見してくださる場所なのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成