2023年3月26日(日)

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聖書一日一章    出エジプト記 28章

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アロンのために、栄光と美を表す聖なる装束を作れ。(2節)

神はシナイ山の山頂でモーセに、ご自身を正しく礼拝するために幕屋を作るように命じられましたが、ここでは、幕屋で儀式を行う大祭司の装束の仕様を定めておられます。その装束について、2節で、ご自身の「栄光と美を表す」ものを作るように命じられます。この「栄光」と「美」は別々のことではなく、一つのことの二つの面で、「栄光」のほうは原語のもともとの「重い」という意味から価値を表し、「美」のほうは文字通り美の意味で、美しい印象を表します。大祭司は、民を代表して神の前に立つ人ですが、同時に、人々から見ると、神の代理人なので、その装束もいかにも神の姿、神の栄光を表すように、当時のデザインと技術のすいを集めて作られたのです。

大祭司は神の栄光を表しましたが、私たちも神の栄光を表すことに生きる目的があります。パウロはコリント人への手紙第一10章31節で、「あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい」と言います。私たちは、神がご自身の栄光を表すために意匠を凝らして造られたものですし、様々な賜物を与えられています。内面には外面よりもっとすばらしいものが与えられています。私たちは自分のすべてをもって神の栄光を表すべきですし、そうすることが自分自身の喜びになります。

しかし、人間の歴史は、神の栄光を表すよりも汚してきた歴史です。私たちも生まれてからずっと、神の栄光を汚してきました。利己心、欲張り、こだわり、盗み、ねたみ、不満、恨み、怒り、争い、高ぶり、コンプレックス、恐れ、保身、偽り、ごまかし、冷酷さ、などによって汚してきました。

キリストは、神と人との間を取り次ぐ真の大祭司として来られましたが、この大祭司は神の栄光を完全に表されました。装束によってでなく、内なるものによって表されました。そしてキリストは、私たちを新しく生まれ変わらせ、聖霊を注いできよめ、私たちを神の栄光を表せるように造り変えてくださっています。私たちも心から神の栄光を表せるように願い、祈りましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成