2023年3月27日(月)

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聖書一日一章    出エジプト記 29章

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祭壇の上の血と、注ぎの油を取る。(21節)

神はシナイ山の山頂でモーセに、ご自身を正しく礼拝するために幕屋を作るように命じられましたが、ここでは、幕屋で儀式を行う大祭司や祭司の任職式の手順が示されています。大祭司はイスラエルの民を代表して神の前に出るきわめて大事な役職なので、その任職式は入念に行われます。ただあまりにも複雑で、何が何だかよくわかりません。一つ一つの動作に意味があるのでしょうが、それを理解するのは困難です。全体的には、21節までの前半が罪をきよめるための儀式、後半は祭司として任命するための儀式です。

さて、このようにして任職された大祭司の職務は何かと言うと、神に人々の赦しを願い、神の怒りをなだめ、人々が神の祝福を受けられるようにすることでした。しかし、ヘブル人への手紙10章11節は言います。「祭司がみな、毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえを繰り返し献げても、それらは決して罪を除き去ることができません。」大祭司は毎日礼拝といけにえの儀式を行ったのに、その職務は果たせなかったというのです。それは残念なことですが、それについて、ヘブル人への手紙9章9節と11節は、「この幕屋は今の時を示す比喩です。キリストは大祭司として来られ、もっと偉大な幕屋を通り、永遠の贖いを成し遂げられました」と言います。イスラエルの大祭司は、預言的な比喩にすぎず、その職務を完全に果たすことができるキリストを指しているというのです。

ところで、この大祭司の任職式で、2つのアイテムが鍵になっています。それは「血」と「油」です。この2つのアイテムは、私たちの救いにおける鍵でもあります。「血」は言うまでもなく、キリストが十字架で流された血です。その血が私たちの罪を消し去るのです。「油」は、ヨハネがその第一の手紙2章20節で、「あなたがたには聖なる方からの注ぎの油があるので、みな真理を知っています」と言うように、キリストが注がれる聖霊です。その聖霊が私たちの心から汚れを取り去り、きよめていかれるのです。血と油は私たちの救いの鍵です。

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