2023年3月29日(水)

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聖書一日一章    出エジプト記 31章

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主が七日目にやめて、休息したからである。(17節)

神はここでは、幕屋とそのすべての器具を製作するために、ベツァルエルとオホリアブの二人を指名されます。幕屋は、神の真理に即していると同時に、美術的にも最高のものでなくてはならないので、賜物を与えた二人に聖霊を満たして製作させられるのです。12節以下では、安息日を守るように厳しく戒められます。この安息日は、キリストが救いを実現されて、救われているすべての日となったので、この戒めを文字通り取る必要はないでしょう。

さて、神が安息日を定め、守るように命じられる理由として、17節では、「わたしが六日間で天と地を造り、七日目にやめて、休息したからである」と言われます。つまり、神が7日目に休まれたから、神の民も7日目に休むべきだという論理です。安息日の利点として、仕事をやめて神を覚える時間を持つこと、健康のために体を休めること、とくに奴隷が休めるようにすること、家族がともに過ごす時間を持つことなどが考えられます。しかし、そういう利点が一つもなかったとしても、7日目に休むのは、神がそうされたからという理由だけで十分なのです。神の民は神にならう民だからです。

これはキリストが持っておられた姿勢です。キリストはヨハネの福音書5章17節で、「わたしの父は今に至るまで働いておられます。それでわたしも働いているのです」と言われます。神が働いておられるのにならって、自分も働くというのです。さらに19節では、「子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分から何も行うことはできません。すべて父がなさることを、子も同様に行うのです」と言われます。何でもできる方なのに、すべて神に見習ってなさるのです。ご自身がそういう姿勢なので、私たちにもそうするように命じられます。神が「太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせ」られるので、それに見習って、「敵を愛し」なさいと言われるのです。幼い子は親のまねをして育ちます。幼い子にとっては遊びであり、何の努力も要りません。私たちも神に見習いましょう。それは成長のために必要ですし、有益です。それは自然なことなので、きっと苦にならず、むしろ楽しいでしょう。

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